浅嶽三十六景

浅嶽三十六景

2122日、小噴火で噴出した火山灰が降下し、仏岩付近の雪の風紋が明瞭となった

 

 

 

浅嶽三十六景(1)

浅嶽三十六景(2)

浅嶽三十六景(3)

 

堂々の浅間山、自然への畏怖

牙山、剣が峰、石尊山、小浅間などの外輪山が周囲に連なり、見る角度によってまったく違う顔を持つ浅間山。人によって好みの角度があり「浅間山三十六景」となる。浅間は何処からでも見えるし何処から見ても美しい山である。有史以前から何度も大噴火を起こし、周辺の地域に多大な災害を及ぼした。ただし人々はその中でも火山の恩恵を見つけ、必死に生きてきた。

 

浅間山への登山ルートとしては車坂峠から黒班山へ、黒班山からは火口の釜山がわずかに見える。前掛山へは天狗温泉から湯の平、斜面を登り、前掛山鞍部、ここから浅間山頂へは禁止されているため、右側の前掛山頂をめざすことになる。すぐ目の前に噴煙が出ている釜山を望めば、活動する地球のあかし、自然への畏怖が感じられるであろう。現代人が忘れがちな畏怖、自然の造形美を感じながら登ってみてはいかがだろうか。

 

黒班火山は、もともとは熔岩と火砕物からなる円錐形の大きな成層火山であったが、2万3000年前ごろ山体の大崩落が起きた。東側と中心部が崩落によって失われ、東方に開いた馬蹄形のカルデラが残されている。カルデラ壁は最高峰の黒班山、蛇骨岳、仙人岳と続き、Jバンドで終わる。崩落を免れた一部が牙山・剣が峰である。崩壊により流下した岩屑なだれは浅間火山の群馬県側と長野県側の山麓を瞬時に埋め尽くした。この岩屑なだれの堆積物は流れ山と呼ばれ、佐久市塚原、南軽井沢の一部に見られる。また堆積物が湯川を堰き止め、発地地区などの南軽井沢に湖ができ、その後湿地に変わった。明治・大正時代の軽井沢は、全国でも上位10位以内に入る湿地の町だったが、現在は湿地の97.58%が失われてしまったという。黒班火山の活動は、約2万1000年頃には終了したといわれている。

 

2万年前頃から仏岩火山の活動が始まった。いくつかの火砕流、軽石流が起きたが、1万3000年前頃有史以来最大といわれる小諸火砕流(軽石流)が噴出した。長野県側と群馬県側の双方の山麓を、厚いところでは50mちかい厚さで埋め尽くした。小諸市の懐古園やJR万座鹿沢口駅の南側の崖などは、この火砕流堆積物から構成されている。小諸・御代田にみられる田切地形は、流れた川が徐々に堆積物を浸食してできたものである。堆積物のある土地では稲作はできないが、谷底は浸食されて火砕物が消え火砕流に埋まる前の本来の土地(1万3000年前)となり、水田が開かれている。

 

前掛火山の活動は約1万年前ごろから始まった。天仁元年(1108年)の噴火では、追分火砕流が流出し、長野県側と群馬県側の双方の山麓を埋め尽くした。長野県側は現在の御代田町から軽井沢町にかけての浅間山南麓が火砕流に覆われ、その一部が御代田町と小諸市の境の蛇掘川を流れ下った。御代田町東部から軽井沢町にかけて地表が「浅間の焼け砂」とよばれる鉄分の多い茶色っぽい土砂で覆われるが、これが追分火砕流の堆積物である。

 

天明3(1783)の大噴火では大量の降下軽石堆積、火砕流、熔岩流が生じた。押出された土砂が鎌原村を埋没させ、天明熱泥流は吾妻川へなだれ込み、利根川が大洪水となり、天明大噴火では約1500人の死者を出した。天明大噴火については私が書いた“鬼押出し熔岩流のナゾに迫る”を参照してください。前掛山の火口底から現在の釜山が出来た。従って現在の浅間山は第一外輪山(西側の黒班山・牙山・剣が峰、東側の仏岩火山)・第二外輪山(前掛山)・中央火口丘(釜山)からなる三重式火山である。

 

幾多の大噴火災害に見舞われた浅間山周辺の地形の変化、人々の暮らしを思い浮かべながら、三十六の地点から雄大な浅間山を眺めてみた。四季の移り変わりにより色々な顔を見せてくれるが、夏には霧の発生が多く、浅間山は姿を消すことが多い。秋晴れの一日、厳冬の浅間山はすばらしい。

 

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長野県東御市田中800−51

酒井康弘